NO GOOD PEOPLES

仕事が出来ない

ティッシュの布団

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同居人は昔から食後にテレビを見ているとそのまま寝てしまうタイプの人間で、すでに寝ている人間に歯磨き粉を付けた歯ブラシを渡す私も悪いと思うのだけれど、いつも歯ブラシを持ったまま寝てしまう。私は彼女のエキセントリックな歯ブラシ睡眠が好きでよく見ているのだけれど、昨夜はもう完全に全てを諦めたようで、歯ブラシにティッシュの布団を掛けて一緒に寝ていた。私がもう寝るねと彼女と猫に挨拶をしたところ、彼女が歯ブラシにも挨拶してくださいというので私は歯ブラシにもおやすみなさい。と言った。

鳥とドローン

今年度から今まで働いていた大都会のど真ん中にあるオフィスから、東京湾に面した誰も来ないような事務所に出向している。今まで技術職のいない体制で彼らなりに頑張ってきたけれど、流石に限界が来たようで期限付の応援要請が来て、技術職の私が行くことになった。あまり働かない私が行ったところで効果があるのでしょうかと思いながら、新しい事務所に行くと事務所全体がのんびりとした雰囲気で非常にナイスだった。仕事自体はタフな内容なのだけれど、余白が多くて、ぼんやりとする時間が1日に数回ある。

夕方電話が掛かってきて、外に出ると、数人のおじさんたちが30万円で買ったというドローンを飛ばす準備をしていた。ドローンは簡単に60mの高さまで静かに浮かんでいき、おじさんも私も夕方の空を見上げた。海の方から、鳥の群れが列を組んで飛んできているのが見えた。「鳥ですよ」と私がドローンを操縦しているおじさんに言うと、おじさんは「ドローンもいますよ」と空を見上げながら言った。

私は忍者で彼は自由だった

中野駅で私の前の席に座っていた人が降りていったので、私は忍者のように、力を抜いて音もなく半回転をして、するりと誰にも気付かれないようにその席に座った。隣に座っていた女性は膝の上ラップトップパソコンでグラフを作って、それを誰かにメールで送っていた。有線接続されたマウスを狭いスペースで器用に操って、ポインタは画面所を縦横無尽に走り回っていて、ほとんど満員のこの電車の誰よりもポインタは自由だった。

桜の写真が追出す未来

私がよく散歩する川沿いの遊歩道には桜の木が植えられていて、秋に歩いたときに春になると綺麗だろうねという話をした。晴天の日曜日。春を通り越して初夏の陽気の中、コンビニで買った缶ビールを片手に散歩をしながら桜を観た。いつもは通り過ぎるだけの人が多い遊歩道に沢山の人が立ち止まり、みんな思い思いの構図で写真を撮ることに熱中していた。いつもその写真どうするんだろうって思う。私も毎年1枚は桜の写真を撮るけれど、その写真を見返したことは殆ど無いかもしれない。桜の花が散り散りに風に吹かれていく様子を観て、私はみんなが撮っている写真のデータがインターネット上に漂っていく様を連想する。世界中のクラウド上にあるデータの容量に制限があるとして、その何割を咲く他の写真が占めているのだろう。何かしらのデータとか、計算式のような桜の写真よりも人類にとって重要なものが沢山あるのだから、桜の写真よりもきっとそういうものが占める割合の方が大きいのだろうけれど、毎年増え続ける桜の写真がそういう大切なものたちを圧迫し、追い出してしまう未来が来るとすれば、それはそれで面白いのかもしれない。

遊歩道の先に、小さな公園があって私はその公園にお気に入りのベンチを持っている。ちょうどよい高さで、よく日が当たる。いつもは人がいない公園だから、私の特等席だと思っていたのだけれど、その日は赤いワンピースと、赤いソックスを合わせた60歳くらいの女性が座っていた桜の花を楽しんでいた。私達は隣の花壇の縁に座り、コアラのマーチを食べた。コアラのマーチには人間の名字か名前が書いてあり、自分の名前を見つけよう的なキャンペーンをやっていた。私は手のひらの上の「たかし」と書かれたコアラを眺めながら、めちゃくちゃ食べにくいなと思った。

神に近い

立川駅の南口には未だにパチンコ屋が複数店もあって、休日には朝からペデストリアンデッキに長蛇の列が出来ている。私はパチンコやスロットを一度もしたことがないので、パチンコ屋がある事で特にメリットはないけれど、特にデメリットがあるわけでもない。パチンコ屋の軒先で営業をしている果物屋があって、少し遅い時間に行くと格安でくだものが買えたりする。今日はいちごを2パック800円で買った。私は果物の値段は高いなと思ってしまう。生活に必要不可欠なものでもないし、食べなくても全く問題ない。お腹がいっぱいになるわけでもないし、健康になるわけでもない。果物を買ってもそれだけでは済まなくて、いつも通りの食事も買わなくてはいけない。おかずにもならないし、ただただ追加の出費という存在。それが私にとっての果物なのだ。しかし同居人はいつも果物を買う。全く物怖じせずに堂々と果物を選びお金を払う。冷暗所で保存しておいて、食べる3時間前に冷蔵庫に入れて冷やし、夕食後に出してくれる。彼女は年収が多分200万円くらいでタイトな生活をしているのだけれど、果物や和菓子をよく買ってよく食べている。豊かだと思う。私が不必要だなと思っているものに、彼女はお金を払い美味しそうに食べている。その姿を見るとこういう生き方でいいのだなと思う。美味しいものを食べて楽しそうに生きる。私ひとりで生きていては、こんなに沢山の果物や野菜を食べる生活を出来なかった。大袈裟に言えば私の世界を拡張する能力をもつ彼女は、神に近い。

お金ないけどどうにかなりそう

私がお金の事を書いているのは自分のためと言うよりは、私よりも少しだけ下の世代の人たちがリアルなお金のない生活ってどんな感じなのよっていうときにアーカイブとして残せれればいいと思ったからだ。今はほとんどアクセスもないけれど、何かのときに誰か一人の約に立てればいいと思う。お金は必要だけれど、増やす才能もなくて、そもそも毎月の収入が少ないのだから楽しく暮らすだけで精一杯出し、住宅ローンを組むとき一生払えるわけがないと思って相当ビビっていた。今のところ、理由は全く分からないけれど、なんとかなっていて、仕組みは全く分からないけれど、全資産は緩やかに増えている。みんな生活の何に重きを置くか違うと思うけれど私の場合は手取り22万円+10万円(同居人のゆるやかな労働による収入)で毎日おいしいご飯を食べて、好きな本を読んでいける。夢のような生活は出来ないけれど、僅かな希望を持って静かな幸福を確かに手に入れる事は出来る。決して無理をせずに働いて、愛をきちんと大切にすれば、お金の優先度は下がっていく。日本はきっと衰退して行くし、もうダメかもって思うときはたくさんあるけれど、どうにかなる時も同じくらいたくさんある。毎日大変だろうけど、お金がないなりに楽しい。

4月863万円ハリボーキッス

4月が来たのでお金の報告。

  • SP500 557万円
  • 暗号通貨 206万円
  • 現金 100万円
  • 合計 863万円

32歳年収500万円(手取り22万円くらい)だと東京で楽しく健やかに暮らすと経済状況はこんな感じ。肌感覚で今まで頑張った人や、今すごい仕事を頑張っている人は同い年でもこの5倍くらいお金を持っているけれど、対した努力もせずに適当に生きている私はこのくらいが限界。といっても限界を超えたいとも思ってない。出来ればお金は欲しいけれど、私がほしいのは何もしなくても貰えるお金なんだよね。ちょっと悪い子としたり、緊張感がある事をするくらいならお金はいらないけれど、それ以外だったら今すぐにでもほしい。ハリボーキスのアカウント知っているかい。あれとても可愛いよね。