NO GOOD PEOPLES

仕事が出来ない

賀上隼敬さんの木彫りの熊

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札幌の遊木民が上野松坂屋に来るタイミングで、お腹が痛くなったので会社を休んだ。お昼過ぎには回復してせっかくだからと自分に言い聞かせて松坂屋へ。計画的犯行。休みは有意義に使うべきである。

柴崎重行さんの毛彫時代の小さい熊が本当に可愛くて悶える。憲ちゃん熊も相変わらずのポリゴン感。埋木を使った根本さんを感じる熊は本当に素晴らしい。その中でも孤高の存在感を感じるのがやっぱり賀上隼敬さんの熊たち。木片から掘り出した円空仏に通じる坐禅熊も大好きなのだけれど、賀上さんが時々作る熊の優しい顔と流体的な身体が組み合わさった抽象と具現の間で揺れる造形の熊がとても良い。小さいものを今年の初めに買ったのだけれど、それよりも倍くらいの大きさの熊に釘付けになってしまった。

値段もなかなかで1時間悩む。作品の素晴らしさは瞬間的に理解して、その素晴らしさが減少するという事はない。悩んでいる時間に僕が考えていたのはお金の問題である。現代アートを買うときも、民藝品を買うときもお金の問題がいつも僕を惑わせる。お金は無い。ただこの作品をどうしても所有したいと思う。この作品は誰かが所有すべきだと思う。そしてその所有者になりたいと思う。そして作家がこの作品を作るまでに過ごしてきたであろう時間の事を考える。彼らが取った大きなリスクを考えて、彼らの人生を考えると作品の値段は妥当であり、寧ろ安いくらいだといつも思う。そして買う。これが僕のいつもの勝ちパターン。

僕はそこに到達出来ない。僕はこの熊を作れないし、実物を見るまでは想像した事も無かった。この世になかったものを、作家の頭の中にあったものを自分の手でこの世界に存在させる。それに対する感謝と敬意でお金を払う。お金の使い方として個人的に最も納得できる使い方。

そのような言い訳を展開し、見事に僕所有となった熊が写真真ん中の巨大な熊である。最高じゃない?どう考えても最高で、これが家にあるって相当ナイスなライフじゃない?と思う。この並びが本当に綺麗で良い。本当はもっと大きな場所でディスプレイしてあげたいけれど、今はここに居て下さい。山の生物なのに、水を連想させる流動的なフォルム。熊をそのまま形に落とし込む事のできる人がたどり着いた本物の熊よりもより熊な熊。最高。なにより大きいのが良い。大きければ大きい程良いのだ。

話は変わるけれど、僕の柴崎熊は普通の柴崎熊とは木の色が違う。少し墨がかった色をしている。今日見た憲ちゃん熊が埋木という地下に埋まった木を使っていて、その色が柴崎熊にそっくりだった。もしかしたら僕のも埋木だったのかもしれない。

お金はない。自分に不相応な買物をしているのは自分でも分かる。もっと慎ましく必要な物だけを買って生きるべきだと思っている。ただやっぱりこういうモノは人生の必要な物を多少我慢しても手に入れないといけない気がしている。今だから買えるモノだってあるのだ。だったら買うべきだよ。お金は毎月入ってくるけれど、そのモノはもう今しかないんだから。

参考

洞爺湖の匠・賀上隼敬さんが彫る円空仏 | むしゃなび編集部 | 北海道洞爺湖周辺の情報共有サイト「むしゃなび」

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