NO GOOD PEOPLES

仕事が出来ない

桜の写真が追出す未来

私がよく散歩する川沿いの遊歩道には桜の木が植えられていて、秋に歩いたときに春になると綺麗だろうねという話をした。晴天の日曜日。春を通り越して初夏の陽気の中、コンビニで買った缶ビールを片手に散歩をしながら桜を観た。いつもは通り過ぎるだけの人が多い遊歩道に沢山の人が立ち止まり、みんな思い思いの構図で写真を撮ることに熱中していた。いつもその写真どうするんだろうって思う。私も毎年1枚は桜の写真を撮るけれど、その写真を見返したことは殆ど無いかもしれない。桜の花が散り散りに風に吹かれていく様子を観て、私はみんなが撮っている写真のデータがインターネット上に漂っていく様を連想する。世界中のクラウド上にあるデータの容量に制限があるとして、その何割を咲く他の写真が占めているのだろう。何かしらのデータとか、計算式のような桜の写真よりも人類にとって重要なものが沢山あるのだから、桜の写真よりもきっとそういうものが占める割合の方が大きいのだろうけれど、毎年増え続ける桜の写真がそういう大切なものたちを圧迫し、追い出してしまう未来が来るとすれば、それはそれで面白いのかもしれない。

遊歩道の先に、小さな公園があって私はその公園にお気に入りのベンチを持っている。ちょうどよい高さで、よく日が当たる。いつもは人がいない公園だから、私の特等席だと思っていたのだけれど、その日は赤いワンピースと、赤いソックスを合わせた60歳くらいの女性が座っていた桜の花を楽しんでいた。私達は隣の花壇の縁に座り、コアラのマーチを食べた。コアラのマーチには人間の名字か名前が書いてあり、自分の名前を見つけよう的なキャンペーンをやっていた。私は手のひらの上の「たかし」と書かれたコアラを眺めながら、めちゃくちゃ食べにくいなと思った。