NO GOOD PEOPLES

仕事が出来ない

お買い物とヴェルファイア

仕事始め2日目。まだ世間は動き始めてないようで穏やかな1日。こうやってずっと社会が回っていきますようにと願ってばかりいる。お昼休みに会社の近くの図書館に行きダラダラと本を眺めて過ごす。本が好きで言葉が好きなのだけど、いざ本を買おうと本屋に行くとどうしても自分の経済的貧しさを実感して何も買えずに毎回とぼとぼと帰るはめになる。お金が無いという事は知識にアクセスする障壁になるなといつも思う。お金が無くて辛い思いをすることは日常生活でそれほどないのだけど、本屋はそれを実感させる。生きていくのに必要のないもの。図書館で借りればお金がかからないもの。あれば生活は豊かになるけど無くても困らないもの。我慢すれば外食ができるもの。本は大人になってからそういうものになった。子供の時は純粋に善だったものが大人になって、お金が絡んで生活が根本にあってよく分からなくなる。これが大人になるということなのか。だったらそんなものになりたくなかった。

お正月に友人と会った時に、最近いい感じの女の子がいると言っていた。可愛いらしい。可愛いけれど特に何も出来ないらしい。でも可愛いだけでいいじゃないか。可愛いという事は全ての短所を覆す。可愛いだけでいい。その可愛いさは性的な強さがなくてもいい、多摩川の河川敷で転がる歪な石や、山鳩みたいな可愛さでいい。可愛いだけでいろいろな事が救われる。辛い事が全て可愛い猫のおかげで報われる。夜寝室の冷えたベッドの中に入るときにも、すでにそこで寝ている女性の中の可愛さで報われる。可愛いものはずっと変わらない。僕の中でずっと可愛いものランキングの上位に君臨するのはお買い物くまだ。この世で最も可愛いぬいぐるみはお買い物くまである。西武も東武もよくわからない。よく知らない。それでもお買い物くまの事は知っている。可愛いからだ。可愛いから忘れない。ふとした時に、例えば仕事中にパソコンを眺めている時に思い出す。ああお買い物くまって可愛いよねって。そのようにして仕事をやり過ごす。

では逆に可愛く無いものはなにかと言うと、それはヴェルファイアである。トヨタが作ったヤンキーのための車、ヴェルファイアである。愛知県で生まれた彼は母親の無償の愛を受けて長屋で育った。父親はいなかった。居なくなったのではない。最初から存在しなかった。ある意味ではそれは彼にとって幸福な事だった。最初から居なければ失う辛さを感じなくてよかったからだ。愛知県では高校を卒業すると車を作るか半グレになるか強制的に選択を強いられる。彼は半グレになる事選んだ。自発的に。脱法ハーブ、化学式を弄ったカンナビエド、女性を撮影した動画を動画サイトにアップロードし有料サイトへ誘導した、そして彼は美容学生だった女性に出会い子供を授かった。それがオリジナルのヴェルファイアだった。品の無いグリル、体積が全てで形態はゴミというデザイン思考。そして何よりもヴェルファイアという今まで世界に存在を許されなかった言葉。ヴェルファイア、それは地獄の呪文である。愛を知らない人間を太陽の光の届かない穴の中で80年以上飼育する。81年目にして孤独の中でその人間は言葉を初めて発する。それがヴェルファイアという言葉である。その穴は奇しくも彼の恋人の膣に繋がっていた。81年の孤独の後に初めて触れる人間にヴェルファイアは泣き叫ぶ。魂を震わせてヴェルファイアは涙を流した。ヴェルファイアを抱く男が、半グレである事など関係ない。半グレでもいい。半グレぐらいが今は丁度良い。人間として認められない半グレという人種。そのような魂のレベル、レヴェルの低い人間が丁度良かった。レヴェルファイアである。心地良かった。父親になった彼はヴェルファイアを一生懸命に育てた。今まで以上に懸命に働いた。性は金になる。偽物は本物よりも価値がある。その2つの言葉を経営理念とした。貪欲に学び、実践し、稼いだ金を彼はヴェルファイアのために使った。車高を低くし、電飾全てLEDに変更した。後部座席にモニターを付けた。そして成人を迎えた時彼はヴェルファイアトヨタ売った。最後の瞬間までヴェルファイアは笑っていた。