NO GOOD PEOPLES

仕事が出来ない

スープ的な鍋

1/7 土曜日

朝食に昨日の夜の鍋の残り(一昨日の夜の湯豆腐の出汁を使ったので説明の仕方が難しい)をスープ的なノリで食べていたところ、姉から軽井沢のホテルに泊まるつもりで取っていたのだが行けなくなったので代わりに行かないかと連絡がくる。予約日は今日。宿泊費は無料だといえ往復でひとり一万円かかる。ふたりで2万円。そして基本的に二人分僕が出す事になるので2万円は出せないとなり断る。こう言う時にお金のことを考えずに二つ返事で行きますと答えて、適当なものを荷物に詰めて部屋を飛び出るような、そのような人間になった方が絶対に人生は楽しい。2万円なんて30年後の自分から見れば無料みたいなものだろう。30年間で2万円を使った使っていないなんていうは限りなくゼロに近づく。たった2万円の有無で人生が変わるだろうか。変わるわけがない。ただ今回はそれが出来なかった。己の弱さを恨む結果となりました。こんなことではだめである。こう言う時に白目を剥いて口から泡を吹きながら大声でイクゥウと叫びながら新幹線に乗り込める人間になりたい。2023年はそのような人間になる。

お金が無いのでふとした時にお金のことを考えるハメになる。自分のものになるわけのない女性をついついいつも考えてしまうようなもので、自分が絶対に手に入らないものを電車に乗ってボーっとしている時に考えてしまう。結局はお金が欲しい。そして辛いことはしたくない。自分のしたく無いことはしたくない。例えば知らない奴に敬語を使いたく無い。自分を社会的な地位の高い人間だと思っている人間と話したく無い。最早できれば誰とも話したく無い。できれば静かにハイバックチェアにもたれながら、暖かい部屋で本を読んで年収が上がって欲しい。どのような手段でお金が欲しい。ただはっきり言って無理である。それはわかる。自分の年収を上げることなんて不可能だ。何故なら努力もしないし、どうすれば年収が上がるのか分からないからだ。適当に毎日会社に行き適当に笑いながら楽しく過ごして家に帰る。これしかしたく無い。そんなものを望む人間に年収の爆上げなんて夢のまた夢。そこで僕は考える。であるならば、実質的な時給をあげればいいのだ。どうせ年収は変わらない。であるならば、出来るだけ働かずに毎日を過ごす。在宅勤務を出来る限り活用し、本を読んでお散歩をする。有給や特別休暇で使用可能なものは全て申請し消化する。それをしたところで年収は変わらない。結果時給が爆上がりする。ただこの政策は意味がない。ダラダラする時間が増えるだけで金が増えない。結局僕は金がなくて軽井沢行けない。