NO GOOD PEOPLES

仕事が出来ない

ギリギリでやってる

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久しぶりに仕事で大きな過失をして、心がとても疲弊した。それと同時にこの感覚何だよなという気持ちが芽生える。精神的強度はひどく脆いわりに、自分の人生にすら本気になれないこの性格のおかげで、大きなミスををしてもなんとかやっていける。考えてみる。大きなミスをしたときに私が感じているこの嫌な感情の正体について。ミスをして自分の評価が下がるから→これは全く無い。30年近く生きて学んだ。私は自分の他人からの評価に全く関心がない。怒られるから→これもない。仕事で人は怒らない。過去の自分に対してのやましさがあるから→これは近い。過去の自分のした不適切な仕事に対して何かに嫌な感情があるかもしれない。とかここまで書いてみたけれど実際は特にない。嫌だなと思う。また同じようなミスをしてとかは思う。仕事のできない自分に直面して辛くなる。多分本当はこんな感じなんだと思う。

京浜東北線が人身事故で止まっていて、山手線がすごく混んでいた。ものすごく混んでいて、私の前に背を向けて立っていたら男性のスマートフォンの画面が見えてしまった。YouTubeを開いていて、検索欄に「発達障害 褒めてくれる」と入力して検索していた。そんな動画あるわけないだろとか、どういう理由でその検索ワードをとか、辛くないかな大丈夫かなとか沢山の感情を抱えた私はまだ彼のディスプレイを覗いていた。検索結果は大漁で、スクロールしても次から次へとサムネイルが現れる。需要があるから沢山ある。みんな結構ギリギリでやってる。